ちょっとひと休み

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三分一湧水2

さあ今回は、普段の【百名水】を巡るメルマガとちょっと趣向を変えて、戦国時代に思いを馳せてみましょう。

ちょっと文章が多くなりますが、ご勘弁ください。

 

さて、今回のメルマガの主役は悲運の将、武田勝頼

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彼は、あの織田信長も戦う事を恐れた戦国大名武田信玄の四男として生まれました。

山梨県では、武田信玄は最強・最高の戦国武将で、前回の【三分一湧水】の発案も信玄公としている資料もあるほどで、《Mr.パーフェクト》と思われています。

その武田家を滅亡に追いやってしまったと言われる武田勝頼の評価はイマイチです。

しか~し‼

実は信玄公も戦国のならいの通り、非情な行いを行っているのです。

悲運といわれた武田勝頼の最期を辿るにあたって、勝頼への思い入れを一緒に、深くしていただく為、信玄公裏の顔、非情な3つの行いを確認しておきましょう。

 

1.1541年、信玄公22才の時、実父武田信虎を同盟国「今川家」に追放して、家督についています。

 原因は、武田信虎が次男の武田信繁を偏愛し、信玄公の廃嫡を考えていたからなどの説があります。

 

2.1542年、23才の時、諏訪頼重を攻め自刃させ、その娘諏訪御料人を側室に迎えています。

  嫌がる諏訪御料人や諏訪衆に、信玄公との間に男子が生まれたら、「諏訪家」を継がせるなどの約束までして、側室になることを了承させたという話があります。

 

3.1567年、48才の時、嫡男武田義信を廃嫡し、自害に追い込んでいます。

 これは【桶狭間の戦い】で今川義元が戦死すると、信玄公駿河の海を狙って、今川氏真を攻める事にしました。廃嫡された武田義信は、同盟を結んでいた奥さんの実家「今川家」を攻める事を良しとせず、信玄公の追放を企んだためといわれています。

時は、戦国時代‼ 他の武将にも、似たような非情な行いはあったでしょうが、信玄公のこれらの行いが、武田勝頼が悲運の将と云われる伏線になってるんです!

 

さて、悲運の将 武田勝頼は、1546年に信玄公と、前出の諏訪御料人との間に生まれました。

信玄公の息子は、

 

・長男 義信…前出の通り、廃嫡され自害した

・次男 海野信親法名 龍芳、盲目で僧侶になった

・三男 信之…11才で死亡

・四男 諏訪勝…今回の主役‼

・五男 仁科盛信…「仁科家」の養子になった

・六男 葛山信貞…「葛山家」の養子になった

・七男 信清…「武田家」滅亡後、上杉景勝に仕えた

 

以上ですが、勝頼だけは上記の通り、生まれる前から「諏訪家」を継ぐ予定でしたから、名前に武田家ゆかりの『信』ではなく、「諏訪家」ゆかりの『頼』が入っています。

最初から「みにくいアヒルの子」じゃ~ん‼

 

16才で、予定通り諏訪四郎勝頼と名乗り、「諏訪家」を継ぎました。「武田家」に一度は滅ぼされた「諏訪家」を再興し、家臣はみな歓喜に湧いていたのではないでしょうか?

諏訪四郎勝頼は何の迷いも無く、【武田親族衆】として、信玄公による領土拡大の為に活躍します。武名は信玄公以上といわれ、実は「武田家」の最大勢力は信玄公の時代ではなく、武田四郎勝頼の時代だったのですから、以外に優秀な武将だったと思われます。

しかし、長男義信の廃嫡により、急遽、後継者に指名され、武田四郎勝頼となりました。

 

1573年、27才の時、信玄公が亡くなると、家督を継ぎます。

が、「諏訪家」から「武田家」の惣領になったと歓喜する【側近衆】と、「諏訪家」からの出戻りに内心面白くない【親族衆】(裏切り三人衆の穴山信君木曽義昌小山田信茂ら)の対立が起こったのではないか?と思われます。

それを抑えつつ信玄公の遺命に添い、「武田家」の発展に尽くそうとしていた【重臣衆】(馬場信房内藤昌豊山県昌景ら)が【長篠の戦い】で戦死する事態が発生‼

 

いよいよ「武田家」の前途に暗雲が…

 

ってことで、これからが本題…の《悲運の将 武田勝頼の最期を辿る》の始まり始まり~

 

前情報はここまで。ここからは前回の続きです。

【三分一湧水】を後にして、韮崎市中田町の【新府城】に向かいます。

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この【新府城武田勝頼が、織田信長の侵攻に備える為に、真田昌幸に築城を命じたそうです。現在、本丸跡には、【藤武稲荷神社】が建っています。

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武田勝頼と遺臣達の碑が、諏訪のある北西を背に佇んでいました。

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平山城】で回りを木で囲まれていますが、何故か北西だけは、堀があり遠く諏訪の山々の景色が綺麗です。

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新府城】築城にあたり、故郷の諏訪の山々が見えるようにしたのでしょうか?

ん~ドラマだな~

 

1582年、36才の時、織田徳川北条による【甲州征伐】を受けて、【新府城】を捨て、【岩殿城】を目指す事になります。

 

場所は変わり、武田勝頼の夫人、北条夫人が道中に夫の武運を祈願した【武田八幡宮】に寄ってみました。

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「武田家」初代 武田信義が建立したとされる本殿は、国の重要文化財に指定されています。

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なんと、本殿の屋根には、般若?の面が…

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こんなの初めてみましたよ‼

 

その後、武田勝頼 終焉の地、【天目山】を目指しますが…

おー‼

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綺麗な富士山‼

山梨から見る富士山か!?静岡から見る富士山か!?

どちらがいいか?という論争は、今に始まったことではないですが、個人的には山梨からの方が綺麗だと思います…

静岡の方すいません↴

 

さて、相変わらず思いつきで出かけた今回ですが、南アルプス市芦安温泉の【岩園館】の予約が取れたので、今晩はそちらのお世話になりま~す。

 

【岩園館】のぬるめのお湯にゆっくりと浸かって、かみさんは肌がツルツルになったって大喜びでした。

 

2日目は、いよいよ武田勝頼 終焉の地、【景徳院】へと向かいましょう。

甲府盆地を【岩殿城】に向かいまっすぐ東へ横切って行きます。

 

国道20号線笹子峠、ここの直前で、勝頼小山田信茂に行く手を遮られ、遠く群馬県の【岩櫃城】に向け、【景徳院入口】の交差点から、北へ方向転換します。

 

勝頼の足取りを思い描きながら、急な山道、【景徳院】を越え、更に登ると道に雪が‼

そろそろ「やばい‼」かなと思ったところで…

土屋惣藏(昌恒)の片手千人切りの碑】です。

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「織田勢」の滝川一益に先回りされ、行き場所を失った武田勝頼の自害の時間を稼ぐ為。

土屋惣藏が日川渓谷沿いの狭隘地で、左手に蔓を巻き付け、右手一本で迫りくる敵を千人、撫で斬りにしたと伝えられています。

当然、最期には討ち死にしますが、おかげで武田勝頼は【景徳院】で最期を遂げることができたそうです。

武田勝頼のように土屋惣藏を背に引き返して、【景徳院】に着きました。

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境内には武田勝頼北条夫人、息子の武田信勝のお墓がありました。

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武田勝頼が自害した時に座っていたという【武田勝頼生害石】

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武田家を滅ぼすことになった武田勝頼ですが、【景徳院】で、手厚く葬られています。

死後、甲斐を治める徳川家康によって、建立された【景徳院】ですが、そもそも「武田家」旧臣の懐柔の為建てられたと云われ、生まれる前から亡くなった後迄、武田信玄徳川家康という戦国大名に利用され続けた、武田勝頼を不憫と思うのは私だけではないはず…

 

そんなところから、武田勝頼の人気が高まっているのかも?

 

さて、話は変わって、山梨県と云えば、【ほうとう】‼

帰り際の甲州市で立ち寄ったお店【皆吉】です。

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なんで暖簾が北条氏の『ミツウロコ』なの?山梨と云えば、『武田菱』だと思うんだけど…

そう思いつつ、出てきた【ほうとう】がこれ‼

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ボリューム満点で、炭水化物好きな、私には堪らない‼

私の地元、群馬県の【おっきりこみ】には入ってない【ほうとう】ならではの具は、「カボチャ‼」

甘くって美味しかったです。是非、皆さんもお確かめあれ‼

 

いつものお酒ですが、「山梨」といえば「葡萄‼」

「葡萄」といえば、「ワイン‼」ってことで、【皆吉】さんの近所の【白百合醸造】で購入したのが…

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右から、【ロリアン勝沼甲州2014】‼(白)

辛口ってことで買ってきましたが、日本酒とは違いますが、スッキリした飲み口でした。

左は、【甲州瓶熟成2008】限定558本‼(白)

相変わらず限定に弱いけど、あまりワインの違いが解らない私…

同じ白ワインで美味しかったけど【ロリアン勝沼甲州2014】との違いは解りませんでした。

最期、真ん中は【マスカットベリーA樽熟成2011】限定1100本‼(赤)

私、赤ワインは結構飲みますよ‼

いつもはフルボディを飲むんですが、こちらはミドルボディの辛口。

飲み易いですが、赤ワインならではの、渋みもあり、香りも良し‼

これが、私の一押しです‼

宜しければ、一度お試しください。限定1100本ですよ‼

 

さて、最後になりましたが、武田勝頼の正室 北条夫人(当時19才)を葬ったとされる【没頭地蔵尊】です。

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おそらく、勝頼から実家の「北条家」に戻るよういわれていたと思われますが、最期まで、落日の武田勝頼に寄り添った北条夫人

多分武田勝頼は、良い人だったんでしょうね。

かみさんも、裏切られ続けてかわいそうと言ってましたが、私たちは武田勝頼の目指した群馬県に向け、残雪の残った【雁坂トンネル】を抜けて帰ってきました。

 

 

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悲運の将 武田勝頼の最期を辿る!ですが、いかがでしたでしょうか?

ちょっと斜めに山梨観光をご紹介しました。

皆さんも武田勝頼に同情しちゃいましたか?

歴史って、見方で違うし。今となっては、正解は解らないので、夢がありますよね‼ってことで、私の巡る【日本百名水】ですが、「山梨県」にはあと二箇所ありますので、また、違う目線で訪れることができれば…

なんて思ってます。

二回に分けて、ご案内しましたが、そんなことしている間に、桜の便りも近づいてきた今日この頃…

さて、次回はどこへ行こう?