梅雨の間隙を縫って、富山の【黒部川扇状地湧水群】に出かけます。
何故なら、【白エビ】の旬がもう終わりそうだから!
朝7時に、かみさんと、倅・孫を乗せて出発です。
《高崎・吉井IC》から、《上信越道》を富山に向かいます。
雲は多いものの、泣き出さないように頑張っている空!
長野県に入っても…
頑張っている~
《北陸道》を西に…
《親不知IC》を降り…
《国道8号線》を左に、【道の駅親不知ピアパーク】に着きました、
出迎えてくれたのは…
巨大なウミガメと…
《日本海》の砂浜!じゃなくて~
『石』の海岸!
ここ糸魚川は「自称 日本一の石ころタウン」だそうです!
【観光案内所】には…
一袋300円の石ころや…
左端の大きい42000円の『翡翠』が、展示されていました。
【翡翠ふるさと館】には…
こんな大きな『翡翠』の原石も!
何故、この《親不知》に来たのか?
それは、先日見た『NHK』の【日本人のおなまえ】で、
「東西分断!名字のワケメSP」を見たから~
この地、《親不知》で、東西の分断が確認できるそうです。
確かに!【道の駅親不知ピアパーク】にも、こんな看板が…
そもそも、『親不知子不知』の由来は?
壇ノ浦の戦い後に助命された平清盛の弟・頼盛は、
越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)へ落人として移り住んでいました。
このことを聞きつけた奥方が夫を慕って、京から越後へ向かう途中、
この難所に差し掛かり連れていた愛児を波にさらわれてしまいました。
その時に詠んだ歌「親知らず 子はこの浦の波枕 越後の磯のあわと消えゆく」
という歌が由来という説があります。
確かにここは、孫が遊ぶようように広い石浜で~
孫が石ころを投げて遊ぶ、ゆったりしたところですが、右を見れば…
越後へ向かう《子不知》!
右を見れば…
越中へ向かう《親不知》!
何れも、今では高速道路があって通行できますが、
無ければ《飛騨山脈》の北端が海に迫り出し、どこを歩くんだろ~感じ!
だから、ここが東西を分断する難所ってことなんですね!
【道の駅親不知ピアパーク】を後にして、【親不知記念広場】の展望台から、
改めて《親不知》を見下ろすと…
断崖絶壁をくり貫いた、独特な道路でした。
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如何でしたか?
前回も言いましたが、やっぱり、孫は可愛~い!
次は本来の目的地?【黒部川扇状地湧水群】で、
【日本百名水】&『白エビ』をゲットしま~す!